つらい理由

死にゆく父親を見るにつけ、


なぜこんなにつらく苦しい思いをしなければならないのか!よりによって!心気症気味の私が!!!!!泣泣泣


と、思うこと多々。

…こういうとき必ず思い出すのが、映画「メッセージ」である。


この映画で私が読み取ったことは、


<得ることで味わう恐怖悲しみ苦痛はあるが、得ないと得られない喜び感動感動がある>

ということ。


子供をもたなければ味わはずに済んだ絶望。と、子供をもったからこそわかる自分の成長と幸福。である。


決して一筋縄ではいかなかった、父と家族の関係。シネくそジジイイイイイイ!と思ったことも何度もまじでがちである。事故死を願ったレベルでね。。


でもいざ死ぬとなるとつらいのだ。


それは、裏を返すと、つまり。


父親がいて良かったこと、楽しかったこと、得たことがあるから、悲しくてつらいのだと気付く。悪い思い出でなく、良い思いでが濃くなってくるから。


もっと関係が淡泊で、毒親で、、とかだったらそんなにショックでもないかもしれないのに、そうじゃない自分がいる。


ある意味で、これくらいの関係性でマシだったのかも。。仲良し200%!みたいな家族だったらもっともっとつらかったのかも、しれない。



あとは「娘」だからかな。こういう言い方すると血縁命っぽくて嫌なんだけどね。


「他人」である母親は、また別の感情があるようです。

よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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