生きてますけどつらいんだ

え、なんでこんなにしんどい日々が続くの…という日々が続いています。


7月もしんどくて、8月こそはと思ったら、またしてもマイコプラズマ陽性反応…。


午後急に、なんか身体があっついなーと思って測ってみたら7.1。朝は6.4だった(非接触体温計で)。5月同様、身体が熱い、ということ以外、自覚症状はございません。


もうわたし、体温測定恐怖症になりました。


そもそも心気症(身体症状症)の私は、西洋医学的な平常値に強いこだわりがあり、平均から外れることが人の200倍恐怖なわけです。


コロナがなければ自分の体温(平均)が何度かなんて知らないし、「こりゃ風邪引いたな…」と体感でわかるまで、測らないのがふつうでした。


つまり、自分の体温に異常を感じれば(または喉が痛い、悪寒がする、節々が痛い)オムロンに頼らずとも、自然に気づくのが人間本来の仕組みなんですね。


それでいいのに。


コロナのせいで、というか5月に謎の微熱(結果マイコだけど)が続いたことに端を発し、必要以上に体温に固執するようになってしまったのが、今回、心気症が再発してしまったことの根本だと思います。


これでも昔は、風邪を引いて熱がでて、節々が痛かったりするとちょっとうれしかった自分がいたんだよ。


それは確実に免疫が反応してるということで、むしろ自分は健康体なのだわ~~と思えたから。だから、風邪をまったく引かない、というよりは適度に引いといたほうがいい派だったのです。


が!


父親が白血病で亡くなったことで、熱続く=白血病という、極端な思考が生まれてしまい(とはいえうちの父親の場合は、白血病になったことがわかったのは風邪・熱ではないので関係ないけど、TV等でよく報道されたりする発覚の理由が、風邪長引くとかだるいとかだからサ…)、今後、風邪を引くたびに、この不安恐怖と過ごしていくのかと思うと、絶望的な気持ちになりますよ?


父親が入院していたころよりも、今現在のほうがよほど、心身ともに弱っているし、つらいとはどういうことか。


なんとか解決したい一心で、方々に相談した結果、今、試しているのは、気功、気功的考え方です。


気功は、西洋医学とはまったく逆の考え方(体調悪いときはむしろ気の通りがよい)で、マインドフルネス的な側面もある。


私が初めて心気症を患ったとき、思考的に合ったのは

・森田療法

・認知行動療法

で、これは今でも、、というか一生意識していくことになると思いますが、気功もこっちよりのモノの捉え方をするので、わりとすんなり入ってきました。


気功は会社の知人が教えてくれたんだけど、なんか、初回もそうだったのですが、やばいときに周囲に助け舟を出してくれる人がいる、というのは私の運の強さかと思う。



あとは、藁にも縋る思い出「霊視」をしてもらいました。これも友人の紹介。数年前から、すごいすごいと激推ししてくれていたのだけど、そのときはまあ話半分で聞いていましたよね。


私の聞きたかったことはひとつで「なんでこんなに病気が不安、怖いのか」ということ。


①直近の前世が明治時代の女性で20代で亡くなる
②流行り病(たぶん結核?)で長患いをしていた=隔離生活してた
③だから、健康でいたいという思いが強い

④コロナ化での完全リモートワークは、前世時代の隔離生活と同じ状況下なので、魂レベルでしんどい。このままだといっそう精神病むので、ずっと家にいるのはやめたほうがよい。会社に行くか、実家に戻るべし(とにかく広いところへ)。


とのことでした。

なんでも「魂」そのものは生まれ変わるのではなく、ずっと同じで、肉体のみが変わるらしい。だから前世の記憶がある人はあったりする、とのこと。私の場合は、直近の前世が見えたけど、もっと古かったり、守護霊が見えたり、なんか憑いてたり…でてくるものは、人によって都度、違うそうです。


まあ病気怖いのが、前世早死にした人だからってのは適当に言えそうだけど、④は、妙に納得したのですよね。



そもそも、5月にマイコにならなければ、私は確実に出社していた。


会社的には2月の時点で、リモートOKで、そのころから半分くらいの社員はリモートにしていたけれど、私は「自宅で仕事するのは絶対ムリ!!」といって、通常どおり出社していたのですから。


そもそもコロナとは関係なく、家では仕事をしない・したくない派。会社と家も近いので、通勤時間も苦ではない。


それが5月のコロナ疑惑や、コロナに関する不確かな恐怖、続く体調不良などなどで、「コロナー?風邪っしょ」(2月時点のMY発言)から、一気に、エボラ並みの恐怖へと昇格してしまったんですね。


まあエボラよりは危険度低いのは頭では理解していますが、私のような心気症患者は、「最悪の最悪パターンが自分にふりかかる」と思い込むので、年齢的には軽症・無症状枠だけれども、「いやいや私はECMOまでいく」という謎の自信があるのです。マイナスの。


散歩してるし、実家にいたから食事もきちんととってたから、むしろ健康体だと思っていた己の身体。なのに弱っている己の身体。


その背景には、「日常を送れているようで送れてなかった」ということがあったのかもしれぬ。というのが、霊視で得た気づき。



森田療法では、「不安も恐怖もそのままに、どんなに(精神的に)苦しくても衣・食・住の日常を送る。目の前の目的をこなす」という教えがあります。


前回は、仕事がまさにそれで、病気が怖くてもなんでも、とにかく毎日を必死に過ごしていたのは、じつは後から気づいたことだけど、大正解だったのです。


動悸がとまらない、食欲がない、このまま死んでしまうかも、毎朝つらい、、そう思いながらも、なんとか出社して働く。仲間と話す。結局は、薬よりもいちばんこれが効いた気がしたなあ。というか平行して使ったのがよかったのかな。



今回のコロナ渦では、クスリの役目を果たしていた仕事が奪われたので(家でやってるけど、境界がないから、前回とはまったく環境は違う)、日常が前にも増していっそう送れなくなってしまったわけですね。それも世界レベルで。



生きているうちに、こんな目に遭うなんて、死んだほうがましじゃ…と思う反面、よりよく生きたい欲が、強すぎるがゆえの、この病気なので、表裏一体というか、皮肉すぎる。



とりあえず週3~4は出社して帰宅はチャリ(レンタサイクル)にしてみてます。


会社フロアに10人もいないけど(300人くらい入る)、やっぱめっちゃ快適…涙

よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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