コロナ、桜、夢

地元のお花見スポットは例年より人は少なく、自粛が見られた。自粛要請する張り紙もあったしね。


とはいえ、がんがんBBQやってる家族はけっこういたけどね。


先週の土日は天気がよく、超お花見日和だったし、他国にくらべてなんとなーくコロナ拡大防げてる感がするからから、日本は全体的にのほほんとしている。


今、ヨーロッパは外出禁止な国が多く、死者も増えていて、ちょっと前まで欧米現地で、アジア人を差別していたのが嘘のようだ。


コロナに関しては、素人はもはや、自分がコントロールできることはして、できないことは神頼みしかないだろう。


医療の最前線にいる方たちへの感謝と、努力が実ることを祈るのみです。。




父が亡くなり、もう見ないかな、と思っていた夢をまだ見る。


豪邸に引っ越すが何か嫌な空気を感じ、気に食わず、時には泣いて拒否するも、引っ越すことは決まっている、という例の夢。


さらに昨日は、面白いことに、引っ越した後、自分が死んだ夢も続いていた。


気をつけろといわれたのに、潮の流れがスーパー速い海に流されて(平気平気と泳いでいたら、まじで自力では戻れないレベルの潮流で血の気が引いたのは夢の中でも覚えている)、どうやら私は死んだらしい。


死んでも成仏できず?ふつーに生活していて、見える人には見えていて、自分が見えるかどうかを、会う人会う人に「ねえ私のこと見えてる?死んだんだけど!」と確認して、ぎょっとする反応を伺うという、タチのわるい霊となった。


この夢は、今、私がよく考えている「死んだらどうなるかは誰にもわからない」という思念が反映されているように思う。


父が亡くなってから、魂的なもののことを考える。


今もしかしてこの部屋にいるんじゃないか、とか、魂は自由自在にどこでも行き来できてるんじゃないか、とか。少なくとも四十九日までは、とか。


散歩して風が吹いてるとき、自然に目をやると、無限の存在、まさに千の風になって、亡くなった人は存在してるんじゃない?とか、思わないこともない。


メルヘンか。


幽霊を信じる信じないの次元ではなく、誰にもわからないからこそ、肉体がおわったあとの、人間のあり方は、どうとでも想像できるし、霊的な存在は否定も肯定もできない、はず。



まだまだ考え続ける日は続きそうだ。














よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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