人生会議はしとけ


なぜか小藪までも謝罪するはめになった、人生会議の一件。

闘病してる家族、当人サイドから不謹慎だとクレームがついて一日で公開が停止されたニュースです。去年の。


これ、私、目下、クレーマー側の立場ですけど何とも思わない。

むしろこの提唱には大賛成!!!!

もうちょとデザインで解決できることはあったかもね、このポスターの場合は。


で、これにクレーム言ってる人は、死を受け入れられない人なんでしょうね。

死を受け入れる5段階、でいうところの1番目「否認」、2番目「怒り」の段階というか。


そりゃ病気に、それも治る見込みが少ない病になってしまったら、恐怖、不安、絶望、、その他もろもろのネガティブな気持ちになるのは当然なんです。


でもこれから治療していくにしても5番目の「受容」までいかないと、つらさしかないんだよなぁ。。


それは自分が、不安障害になったとき、死ぬほどわかったこと。

そしてあらゆる治療で指摘されていること。

不安を受け入れましょう、というのが現代の治療のスタンダードだと思う。



人間の致死率は100%で、いつどうなるかわからないことは、みな知っているのに、避けて通ろうとする気持ちが私にはまったくわからない。


病院で死ぬことが当たり前みたいになってるけど、ほんの数十年前までは、家で死ぬのがスタンダードだったから、年長者から死んでいく様をみな見ていたし、都度、人生会議が、ナチュラルに開かれていたんだと思うのよ。


だから死ぬことって当り前で、忌み嫌うものではなかったんじゃないかな、今より。


医療が進歩したのは素晴らしいのだけれど、死を考えるうえでの精神面では、退化しているね、日本人。


みんな根拠もなくイイ感じに最期を迎えられると思っていやしないかね?

私は、、必要以上におびえる節はありますけど。


考えようと思ったとき、もう自分が、家族が、思考できない状態であることだってある。

それじゃ手遅れなんだから、人生会議はしておくべきだ。健康な時にこそ。



よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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