父⑦ 悪化と慣れ
週末のこと。病院から家族招集がかけられた。
結論、父親の状況は良くない方向に進んでいる。
最初の抗がん剤投与(1クール)が終わった直後から、悪性細胞が増え(急性転化)、新たに肺炎を発症してしまった。
抗がん剤が終わったことと急性転化は関係なくて、むしろ薬で抑えられていたものが暴れ出したと言えるらしい。
数値は何が基準値なのかはわからないけれど、確かに抗がん剤投与が終わってから、一桁違った気がする(数値を見ながら説明を受けた)。
とにかく数値が急上昇していたことは素人にも明白だった。
で。。
これまでの弱い抗がん剤(経口)では太刀打ちできないので、点滴と注射の抗がん剤を明日から始めることに。その説明と承諾確認のために呼ばれたのだった。
今度の抗がん剤がどんな副作用をもたらすのか、その副作用で死んでしまうこともなくはないし(肺炎おこしてしまってるほど、生物として弱っているなかにさらにアタックするわけだから)、
もともとあった脳と肺の炎症が、今は小康状態なのに、悪くなってしまう可能性だってある。
いずれにせよ、前進どころか、さらに悪条件が1つ加わったので、前途は超超超!多難。
ただ、、
発熱はあるものの、父の意識ははっきりしており、見た目だけでは、このやばさがまったく伝わらない、わからないので家族は実感がまたしてもわかない。
今回も本人を交えて医者から説明を受けたわけだが、「目下の熱が下がれば治療はなんでもいい」という前回と同じような返答。
そりゃそうだろう。
今自分におきている不快な状態がなくなれば、なんだっていいわい!というのが、病人の心情じゃないか、先の事よりも「今」なのだ。
しかしこんな最悪な状況にも人間は慣れる。
母も私も明らかに、慣れてきている。そうじゃないと、壊れてしまいますよ、看病する側は。
振り返ると、私は脳腫瘍と言われたときよりも、白血病って聞いたときがいちばん堪えたなぁ。
死を受け入れる5段階てあるけど、まあ合ってると思います。
そんなことより、私はいま自分の大腸カメラの生検結果のほうが気になってしょうがないんですよ←
0コメント