死にも生にも意味はないのだ

死に直面すると、考え方が大きく変わる。


奥さんを亡くされた上司が、こんなことを言っていた。


それまでは何かしんどいことがあると「死ぬわけじゃないんだから」と思っていた。死を悪いものの最上級としていた。

けれど、

実際に人が死ぬのを間近に見て体験すると、逆に(?)「べつにいつ死んでもいいわ」と思うようになったと。「死んだら終わり」という概念がそこで消えたらしい。


それは今までなんとなく怖いもの、忌み嫌われるもの、というふわっとしか捉えられていなかった死が、リアルになったことで、逆に怖いことでもなんでもなくただシンプルに「人は死ぬ」と実感したから、だと。


私の場合は不安障害になって、これと同じ過程を、ある意味お手軽に体験した。

お手軽というのは、身体はいたって健康なのに、精神的な面ではつねに死と隣り合わせだったからだ(末期がんだと思い込んでいましたので…)。


死は拒むものではない、受け入れるもの。

死に方や年齢に意味はなく、ただその人のエネルギーが尽きただけ。

これに気付けてどれだけ気持ちがラクになったことか。


死にとくに意味がないように、生きてることにも大して意味はない、と思うようになったのも病気してから。

それまでは何歳までに何してとか、生きがいやりがい、私の存在する意味などなど…よく考えていたわね。まあそんなことばかり考えていたら病むよ、メンタル。


(話は戻って)いっぽうで、

「やることないつまんないと思って生きるのはつらいしもったいないから、もし嫌々生きてる人がいたら、興味ないことでもいいからとりあえず、やってみることをおすすめする」

とも言っていた上司。

そうね…現状に不満があるなら行動は起こしたほうがいいかも。


でもべつに、何も刺激がなくたって、本人が幸せならそれでいいのだ。刺激や苦労のある人生は立派そうにみえるけど。…立派そうと思われたいと思っている時点でなんか違うし。


そんな話から派生して、同僚男子既婚子なしが「子供どうですか?いたほうがいいですか?」と質問。*上司には子供が2人いる


…いたほうがいいとか悪いとかじゃないだろって話をしてたんだよね?と思いつつ、横で答えを聞いていたら、


「できない人もいるし、そもそもいい悪いじゃないが、子供をもつことでしか経験できないことはある。クソむかつくこともあるが、その渦中にこそ幸せはある」


との回答が。


…これはあれだ、映画「メッセージ」とまさに同じ回答だ。


手に入れなければ怖いことや嫌な思いをせずに、平穏無事に過ごせる。

でも「手に入れなければ得られない幸福」も一生味わえない。

そしてその幸福は、手に入れたことによる不幸の何倍よりも大きなギフトになる。

だから、手に入れたその先に不幸があっても、トライしてみようぜ!

的な。


私はこの方針で猫飼うの決めましたし。



メッセージは素晴らしい映画だと、改めて確信した。


よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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