父15 死んだけど死んでない

葬儀は無事終了。

天気もよく、穏やかに送れたんじゃないかなぁ。


遺体を見て悲しいとは、まったく思わないんだけれども、

参列してくれた人が泣いてたり遺影を見ると、本当に消えたんだな、この世から、、という現実が迫ってきて泣けてきた。


今でも遺影を見ると記憶がバッとよみがえってきて泣ける。


どんな人にも予期せぬ突然の病、死はやってくる、というのは、父親の件で骨身にしみた。

健康に気をつけていても、健康診断、検診をしていても、病気になるときはなるし、死ぬときは死ぬ。


病気不安になったとき、


「この世には、自分ではどうしようもできないことがあるのが大前提だから、わからないことをずっと考えてるのは無駄」


というアドバイス、そういう性格の友人を何人か見た。

その通りなんだけどでも怖い!不安!というのが心気症気味の人の傾向=私。


でも今回の一件で、そのアドバイスがスッと入ってくる感じがある。


予知できない病を恐れて不安に日々を送るより、いつ死んでもいいように、好きなように生きたほうが気ラクだよなぁ。と。


今でももちろん、身体の違和感を覚えては、難病やがんを想像することはするのだが、、まあでもなったらなっただしな、という心持ちが芽生えていることは確か。




家には死んだら食べようと思っていた、去年父が作っていた干し柿があり、満を持して食した。


ふつうに美味しかった。

よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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