父14 喪失感の正体


ポストにこんなのが入ってた。


このタイミングで笑せるわ!!!!


この手のパンフレットて書体が独特ですよね。

イエスねえ。。




父が亡くなり、、


肉体的にきつい状況からやっと解き放たれてよかったなぁ、と思っていることも事実だし、


でも、もう二度と会話することはないんだな、と思うと、猛烈に泣けてくる。


生きてるときだって大した会話なんかしてないし、実家に帰っても母とだけしゃべって帰っちゃうことはざらだったし、仲が良かったなんてとてもじゃないけど言えない父娘関係だった。


でも似ていたのだ。性格というか気質が。私と父は。


世の中に対する考え方、気分屋、わがまま、自分勝手、態度とは裏腹の弱いメンタル、、


学生のときはわからなかったけれど、社会人になってみて、あの父親の性格で、サラリーマンをやるのはきつかっただろうな、ということがだんだんとわかってきた。それは自分もそうだったから。


幸い私は、職場と人間関係に恵まれるタイプで、父のような苦労はなかったけれど、父は職場の人間関係でうつになりアル中になった、と思われる。


私ももし人で苦労していたならば、同じようになっていたかも。


それがよくわかってきてしまったので、「社会人になってからあんたはお父さんへの態度が変わったわよね(優しくなった)」と母からよく言われる。



母は私とは、つまり父とはまったく逆の性格だから、私が弱っているとき(主に心気症ですけど)には、大変頼りになり、ありがたいし、相談事もしやすい。


いっぽう父には、、きっと生きていても今後人生相談なんかしないんだけど、もうあの父を観察できないと思うと、喪失感がものすごいのだ。


いつもちょっと人と違うことをしていて、

発想がユニークで(母に曰く「気味が悪い」)、

八方美人だがメンタルが弱く、

うつ病でアル中だったこともある父を、これからもずっと似た者の先輩として、観察して、話のネタにしていきたかったのだ、私は。


面白おかしく父を語りたかったのだ、これからもずっと。



父は、私の進路(受験、仕事、結婚しないこと)には、昔から一ミリも口を出したことがなかったけれど、せん妄時に


「○○(私の名前)はもう、産まれたのか!?」


と母に言ったらしい(母爆笑)。


怖……。


それは、極限状態の生命体から発せられた、本心だったのかもしれない。本当にせん妄だったのかな?そこだけリアルだったんじゃないか!?


猫であれだけ、可愛がってたんだから、孫がいたら相当面白いことになっただろうな。


父が早期退職して家でダラダラいるとき(そして働かない父を母が疎んでいた)、孫がいたらすごくちょうどいいよな、と思ったことはあるよ。お互いWINWINでさ。


しかしこれも結果論。孫は突然やってこない。その前にいろいろ段階があるのだ。



娘が可愛いなら、私も家族は築けるように、あの世から応援してほしいものです。


よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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