父10 今やっていること

抗がん剤ってなんなんだろう。

今父親にやっていることは、ずばり延命だ。


投与をやめれば確実に死ぬし、やめなくても長くはない。それはもうデータでわかっていること。


でも、抗がん剤投与=骨髄異型性症候群の治療を開始するかどうかの選択を迫られた時点では、今みたいな状況や予後もわからず


精神的には元気だった父親に「抗がん剤をやらない、何もしない」という選択ができただろうかと考えると、、できなかっただろう。


やってもやらなくても、長くないということは、その時点では医者たち以外わからなかったから。


私もそのときは病気について積極的に調べてなかったし(自分が心気症だし、調べたって素人にできることないから)


父親の生命力の強さ、悪運の強さ、しぶとさみたいなものは、家族全員が感じていたことだから、心のどこかでもしかしたら元にもどる、、かも、という希望があった。ここにも書いたけど。


病院は命を助ける場所だから、死なないように治療をする。


でも今の、高熱で朦朧として、自分が死ぬなんて思ってもいなくて、モノも食べれず、ただ死なないように薬を投与されている父親を見ると、今いったい自分たちは何をしているのか、わからなくなる。


これってまさに薬漬けってやつでは、、、


今の思いは、ただ苦痛を伴わず最期を迎えられればいいな、というだけだけど、今の状態がすでに苦痛なわけだから、意味不明だ。


ここから持ち直しても、もう長くないんですよ、って余命宣告するのは酷だし、そんなことしたら自暴自棄になるだろうし。





いざというとき、延命治療はしないと、家族では決めていた。


が、延命治療ってもっとこう、切羽詰まった状況になったときに、人工呼吸器つけるとかが=延命治療と思っていたけど、確かに今やってることって延命治療だな。はは・・・


「でも出血して血が止まらなくなって死ぬのも嫌じゃん!?」と母に言ったら(何もしなかったら身体のどこからか出血して亡くなる、亡くなりがちと医者から聞いていた)


「でも抗がん剤してたって死ぬんでしょ、だったらもういいわ。私がもし同じようになったら何もしなくていい、しない」とのこと。


まあ確かに。


ギリギリ生きている、生かされている家族を見るのはとても!とても!!!しんどいのだけど、


いざ自分がなったらどうするかとか家族がなったらどうするか、を考えるうえで、とても学ぶことは多い。学びたくなかったけどね!


よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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