ストロベリー・ナイト・ナイト
山岸作品の中で唯一読んでいなかった「妖精王」。というか昔読んで挫折してた。
今回買ったのは、2巻に収録されている短編「ストロベリー・ナイト・ナイト」をどうしても読み返したかったから。どうせなら、妖精王もしっかり読もうと思い揃えました。
これこれこれこれーーーーーー!!!!!
これがSNN(ストロベリー・ナイト・ナイトの略)だ、これ、このシーンだ。
なぜこんなに興奮しているのかというと、これが私のファースト山岸だからです。
SNNのあらすじは、精神病院に入れられた女性が、いろんな狂った人と出会つつ、自分のほうがよっぽどまともじゃね?と気づいて心が晴れ晴れした日が、日本にミサイルが打ち込まれて壊滅する最後の日だった、というもの。
このオチに至るまでは読む人によって感じ方は様々だと思います。
高校の倫理の授業で教材として登場したこの漫画。
何がテーマでこのSNNが使われたのかは思い出せないけれど、拒食や過食になるときの人の精神がわかりやすく、そして山岸先生独自のタッチが、多感な10代の私の琴線に触れた。
漫画は人並み以上に読んでいたけど、自分が生まれるより前の漫画で知ってたのは、「ベルばら」くらい。そこへSNNである。※SNNは「マンガ少年」(朝日ノラマ)1981年3月号初出
倫理の授業にはたびたび山岸作品と萩尾望都が使われていて、今思い返すと、もう先生教材センスよすぎ!!!としか言いようがないです。
後にも先にもあんなに楽しかった授業はなかったな。
それくらい扱うテーマが脳死(臓器移植するしない)とか性的虐待とか男女差別とか重めで。今の私を形成するにあたって非常に欠かせない時間だったと思う。
私にとっては超面白い漫画でも、全然響かない人には響かなかったので「やべえものに出会ってしまった…」と大興奮してたのはクラスで5人(約40人中)くらいかも。とくに男子は全然(ダメ)だったと思う苦笑。
私が山岸先生をはじめ、のちに大いにハマることとなる萩尾望都や大島弓子が好きなのは、「普通なんてない」ということを肯定してくれる、というか肯定も否定もしない世界が描かれているから。
人が死ぬ意味、生きる意味、犯罪者になる人、狂う人、、
生死について考えても意味はないかもしれない、でも私は考えていたい。
犯罪者だって精神異常者だって明日は我が身かもしれない。
そんな高校生だったので(今もだけど)、山岸漫画との出会いは私にとって奇跡。
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