父13 おしまい

令和2年3月13日11時20分、父、亡くなりました。


骨髄異形成症候群からの急性骨髄性白血病。67歳でした。


倒れてから約4か月。

長かったような、短かったような、、いや、長かったかな。。 


ふりかえってみる。


▼2019年

11月8日 意識を失って救急へ運ばれる

11月11日 手術、脳膿瘍と判明 

     血小板少ない→珍しいことではない→白血球が減る→おかしい→骨髄検査→悪性所見

11月28日 骨髄異形成症候群の診断がくだる

12月2日 家族に病名告知(当時は白血病と言われる)

12月4日 本人交え告知説明、抗がん剤投与意思確認

12月9日 抗がん剤投与スタート(飲み薬)①

▼2020年

1月10日 ①は効かず急性転化。経口ではなく皮下注射、点滴に切り替える旨説明

1月14日~27日 加療② ←この後半から急激に弱り命の危機が何度か訪れる

2月3日~7日 ②が効かず加療 

2月19日 緩和ケアへ移行

3月13日 逝去



結局父は、治療中いちども良くなることはないまま、白血病にやられたという最期。


一度でも良い段階に入れば、ポジティブな加療が続けられ、運が良ければ、抗がん剤だけで日常生活に戻れたかもしれないけれど、それは一般的な?急性骨髄性白血病であり、


骨髄異形成症候群からの白血病の場合は、予後が悪いので、いずれにせよ、厳しい時間が続いたと思う。


何度か危ない時があり、緩和ケアになってからも、しぶとかったので、死んだ実感がいまいちわかない。


こんなに早く親の死を見るとは、それもこんなカタチで見るとは夢にも思わなかったし、うつ病になってもアル中になっても、


家族に迷惑をかけながら、しぶとく生きる父だったので、絶対母より先には死なないと思っていた。


治すためでなくとりあえず生かすだけの治療はつらかっただろうし、こちらもしんどかったけれど、、なんだかんだ家族に最期まで面倒見てもらえて、幸せだったと思う。冷静に思う。


エンゼルケアっていう、遺体を身ぎれいにするやつに(看護師たちに促されたので)私も参加したのですが、死後も身体は温かい。


でもまあモノ感はある。


私は、死んじゃったらボディは入れ物と捉え、身体には執着しないタイプなので、今頃父の概念はどこにいったんだろうなぁ、、と考えたりしていた。部屋にいて、自分を見てるとか??俗に言う幽体離脱ね。


急に死んで、父の意識というか魂というかが、あるならば、この状況理解できてるのかなぁ…なんて思ったりした。



火葬場が混んでいて、葬儀は先になりますが、いったんお疲れ様でした。

自分も家族も、父も。


よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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