父12 眠るように逝くとは…
なんらかの病気で治療、闘病している人が亡くなったとき「眠るように逝きました」とよく聞くけど、
看取りの段階になったら、薬でほぼ眠らされているので当然といえば当然だよな、、とふと思う。
睡眠という意味での眠る、眠ったまま逝く(朝起きてこない)というのは、多くの人が希望する最期だと思うが、それはなかなかの奇跡だ。
ほぼ眠っている父のお見舞いに行くのは、意識があって治療中の父に会いに行くより気は楽。
先行き不透明で闘病し、ふつうの会話ができる時のほうが辛かった。
こちらは治る見込みがないことを知っているし、こうやって話せるのも最後だろうかと思いながら接しているほうがくる。
緩和ケアに入った父は、寝ていることが多くなったし、話かければ意識こそあるが、長くはしゃべれず、せん妄も見られる。
そんな父親を見ていると、もう半分死んでるっていうか、、
脳膿瘍で緊急入院し、朦朧としている状態の父を見たときも「ここにもう父はいない(死んでる)」と思って、身体だけが生きてるというか、脳(父親を父親たらしめるもの)がもう死んだと感じた。
だから恐怖やショックはあまりなかった。
そういう意味で、本来の父親は半分くらいもうここにはいない気がしている。外側だけがある感じ。
ここまでくると、死ぬって死ぬだけで、それ以上でもそれ以下でもない、という境地にくる。怖いとか嫌だとかそういうのから離れて、ただ、ああ死ぬんだ人間て、という。
峠を超えるとある種の覚悟が決まる。たぶん。
祖母のときも、余命宣告から治療(闘病)までがいちばんきつくて、緩和に入ったときは今の父を見てるときと同じ気持ちになったことを覚えている。
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父が清拭されている間、談話室的なところにいた。
そこには80代母&60代息子と思しき男女がいて(患者は父だろう)、同意書(首からなんか入れる系の絵があった)を前にし、静かに座っていた。医師からの説明待ちですね。
母:助からないなら管入れたってしかたないでしょう。苦しんだり痛がったりしないで死んだほうがいいよねえ
息子:助かるか助からないかはわからない、やってみないとわからない。でも今やらないとまずいんだから
母:こんなの(同意書)読んだってわからないよ
息子:針が折れるとか、そういう何かあったときの万が一が書いてある
母:でも助からないならやってもしょうがないでしょう
息子:だからわからないんだって
母:もう家に帰ってこれないんだから、介護保険でベット頼もうと思ってたけどやめよう。もう帰りはバスじゃなくてタクシーで帰ろう
息子が治療と現実の詳細を飲み込めない母にじゃっかんイラつきながら、目をつむり押し黙って座っていて、おばあさんはため息をつき、意気消沈している。
おい息子!!ばあさんをもうちょっと労ったれよ!!!!
老人が凹んでいるのを見るのはつらい(おばあちゃん子だったから)。
老親子を背中に感じながら、
「80代なら積極的治療はしなくていいと思いますよ(予後が悪いなら)!」
と一瞬まじでアドバイスしたくなった気持ちをぐっとこらえ、やっぱりなんか息子って全然頼りにならねえ!!!と思ったのだった。
子供をもつなら絶対女児だ。女児がいい!
しかし人間は、点滴だけでも生かされてしまう、生きてしまうもんですね。
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