父11 「緩和ケア」チーム登場

2度にわたる抗がん剤治療を行った結果、悪いほうの白血球(芽球)は、結局、減らなかった父親。


通常の白血球も悪い白血球も両方殲滅させるのが、寛解導入療法といわれる、白血病の標準治療。


父親も、抗がん剤を投与すれば、両方の数値は下がっていくのだが(でも炎症あるなかで、通常白血球が減るのは綱渡り!)、抗がん剤が終わると、だんだん芽球の数値があがっていって、元に戻っちゃう。元の木阿弥。


抗がん剤が効けば、芽球がなくなって通常白血球は平均数値にもどってくる。

でも効かなければ、抗がん剤を変えるか、さらにアタックし続けるか、それは患者の全身状態(年齢・体力・健康状態)と希望次第だ。


言わずもがな、私の父の場合は、もう、これ以上やっても体力が持たないので、積極的な治療は終了することに。

いよいよ父も緩和ケアの段階になったのだ。



父は、立て続けに抗がん剤を入れているので、体力は劇的に奪われている。


通常なら、抗がん剤投与のあと1~2週間は休む期間があるのだけれど、悪い白血球の増殖スピードが速く、休んでられないってことで、抗がん剤はほぼ連続して投与されていたし、強度も増していた。


色々なハンデがあるなかでの抗がん剤投与は、よくもっていると、その生命力に感心するいっぽうで、そんなに頑張らないで…と思っていたのも事実。


正直ほっとしているし、ようやくこれで無意味?な闘病をせずに済むな、と思っている。


これはやってみてわかったことだけれど、父親の場合の抗がん剤投与は、気力体力が奪われていくだけで、治る見込みがない闘病でしかなかった。


治る見込みがない闘病って…ただの地獄じゃん。。。


脳と肺とのちに肝臓(腎臓だったかも)に炎症を抱えながら、予後の悪い骨髄異形成症候群からの急性転化、という状況の深刻さが当時の私たちにはわかっていなかったのもあるし、わかったときには時すでに遅し、だった。


病気の力、抗がん剤の影響、みるみる衰える人間とそのスパンの生々しさを体験できたことは、、今後役に立たせたくないけど、勉強になったことは確か。



緩和ケアについては、私は病気不安ゆえ、個人的にいろいろ調べていたこともあって(自分のために)、色々と話を聞けて興味深かった。


父親が入院している病院はチーム医療を推していて、がん等の命に関わる病気になった場合の、患者&家族の心のケアが存在し、今回のように、段階をみて、緩和ケアチームが投入される。


母親も今回私たちの担当になったソーシャルワーカー(緩和ケア専門の看護師)さんに、気持ちを吐露でき、少しは気がラクになったよう。


緩和ケアの医師は麻酔科医なので、呼吸の苦しさ、せん妄を取り除くために薬を使うこと、薬を使うと眠った状態になることが多いことなど…わかりやすく説明してくれた。


私は、いわゆる「鎮静」をちゃんとやってくれることがわかり、安堵した。



緩和ケアチームからは、家族の希望、本人の希望(もうできないけど)、親子関係、夫婦関係、父の仕事、人となりを適当に聞き出されたけど、これもきっと、患者や家族がどういう最期を望むか、探る作業なのだろう。


「何としても生かす」ことが最上だったとされる数十年前の病院、医療の考え方からしたら、現代の、緩和ケアというプロセスは、本当に素晴らしいよね。

この時代に生まれてよかった、と病気不安の私はいっそう思う。


最期までしっかり見届けたい。

よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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