父③ 疑問

明日から始まる抗がん剤治療によって、父のその後は決まる。

数値的には危険でも、見た目は元気な父親を見るにつけ、


「このまま何もしないで衰弱?していったほうが、苦痛を伴わず逝けるのではないか」


という疑問が拭えない。


弱めとはいえ、抗がん剤でなんらかのスイッチが入り、白血病が進行したり脳や肺の炎症が悪化したり、副作用で死んでしまうくらいなら、今のままぽっくり逝くっていう方法はないものか。


副作用がどう出るかわからないけど、助かっても、いつ終わるかわからない闘病をするくらいなら、したって助かる可能性は低いのに、無駄では?


結局、人間の身体は謎だらけ、わからないことだらけだ。


西洋医学的に数字が悪くても父親のように意外と元気だったりするし、その逆もある。


現代医療からすれば、現状の父を放っておくわけにはいかないのだけれど、放っておいたほうが、QOLは保てるんじゃないの?



いや嘘だね。


私は結局、苦しみ弱る家族を見たくないだけなのだ。エゴである。


自分がそれに耐えられないし、想像するだけで不安と恐怖で押しつぶされるから。自分本位の思考なんだ。。



昔、こんなブログを書いた。


死は拒むものではない、受け入れるもの。
死に方や年齢に意味はなく、ただその人のエネルギーが尽きただけ。
これに気付けてどれだけ気持ちがラクになったことか。


我ながらいいことを言っている!


でもいざ自分が、なかなかの窮地にたつと、そうサラッと受け入れることなんてできない。



よく生きる

不安神経症(疾病恐怖)のリハビリとして他人の死生観を集めたり、役立つ情報を自分のために溜めています。

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